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物語アート  〜アメリカ現代美術という物語〜

Text by: トシダミツオ



Part 1: 新世紀壱年



 新世紀のニューヨークアートを語る時、ここ数年来のチェルシー地区への画廊の大移動を一つの象徴的な出来事として挙げることが出来るだろう。長い間ニューヨークのアートシーンの中心だったソーホーはファッション街化、商業化し、旅行者とショッピング客で賑わう通俗的な街に生まれ変わった。僕が80年初頭にニューヨークに移り住んだ頃はまだ倉庫街の雰囲気を残していたが、その頃画廊だったスペースは今では見事なほど完璧にファッションメーカーに占領されている。

  チェルシーの西の端に出来た新しい画廊街は倉庫やガレージの多い地区で、安い家賃とソーホー以上に 広いスペースは画廊主にとって魅力的に違いない。90年代後半にアメリカの好景気をバックに若いギャラリストがチェルシーに画廊を開きだし、今では大手のメアリー・ブーンやソナベント・ギャラリーも店開きしている。 ただ地下鉄の主要ラインから外れていて交通の便が悪いのが玉に傷だ。僕などイーストハーレムの住人には行きにくく、自ずと足が遠のいてしまう。



「アートのグローバル化」の問題点

  新世紀のニューヨークアートは90年代のクリントン政権下でのアメリカの文化イデオロギー、「マルチカルチュラリズム」の遺産を受け継いでおり、かなり高いパーセンテージで女性やマイノリティーのアーティストたちが画廊のスペースを埋めるのが普
通になっている。マイノリティーである方がむしろ展覧会の機会があるなどと云う人もいるが、実際のところはよくは分からない。ただ10年前よりはマイノリティーの作家にも作品発表のチャンスが断然増えたことは確かである。

  これはアートのグローバル化とも関わる問題で、他者(異者)の投影するエキゾティシズムがアートの価値としてもてはやされている状況が確実にあるようだ。アート自体がよりスペクタル(見世物)化する中で、アジア系のアーテイストを扱う場合に特にエキゾティシズムが評価の決め手となる場合が相も変らず多いのだ。そこではアジアという他者性がより強調されなければならないのだ。そしてそれがいかにクリシェであろうとも、「永遠の他者」である限りに於いて商品価値が認められるのである。そしてこのエキゾティシズムはあくまでもポップ(表層)に表現されなければならないことも付け加えておこう。

 近年、多くのアジア人作家がポストモダンへの親近性を示す証としてお客様的に重宝がられるのとは裏腹に、アジア系アメリカ人作家の相変わらずの周縁化はアメリカ美術の地方性の問題を逆説的に垣間見せてくれる。