たまたま日�

Text by 森周�


第1回 〜すさまじき不毛�


「アンター�ZIPANGUの大竹さん、なんか書�ほしいって、アンタに�

「………��

「この前ZIPANGUが集めて�アンケート、アンタの答えが馬鹿��かったからって。………聞いてん�ォ、アンタァー��

「……書けって何を?�

「だからバカバカしいことよ。アンタね、い�してま�自��ってな���人前では格好つけてまともなことばかり言ってるけど、見る人は見て�のよ、アンタがバカ�って。この際だから蒸し返しますけどね、……ああ、思い出すだけで死にたくなるほど恥ずかしい…�うん年前、ワタシの恩師、シスター佐�が商用�?)でNYに�し、わざわざウチまで訪ねて���時�こと。アンタが二年越しで�と作ったこのバスルー�にま�壁もドアも無かった時のこと。なにが『�クは大工としても一流』よ、なにが、トイレは一日にして建たずよ�

「面白がって�もんなあ�き通るようなトイレなんち�て�

�.....苦節四十数年、た�ただ神様に我が身を捧げ続けてきたシスターに��ったあげく、『ほしいと思った時、ありま�?』だって。あ一、あの時でワタシの人生�終わった�よ�、�ント、あの時髪�てシスターと一緒に修道院に�帰れ�良かった�よ�……、でも子連れじ��ェ�

「�ザーなんとかにはなれたかも�

「あんたはホントに救われな�よ。それだけじ���からね、これまた思い�してもハラが立つ。父親の二十�忌�時、親戚一同しんみりと�をしのんで�席で、袈裟がけ�ワタシのオジ(��れ寺の住�兼高�教師)に向かって、『どちらも説教するには手遅れ�相手ですな一』だって。あれ以来、ワタシは親族�笑い�一�この罰当たり�ー��

 キリスト・仏教関係を一緒くたにガナリたてる夜叉化した女房の顔を避けながら、大竹さんも迷惑なこと言ってくれるよなあ一、この�50ドルも�した�に。馬鹿さを見込まれて原稿依�、ZIPANGUは吉本興業系か。第一俺にそんな時間があるわけ無�ろう。これでも俺は社長�よ、とブツブツと反撃に出る��が。「なにが社長よ、ろくに家におも�れな�。疲れた疲れたって毎日帰って来るなりカウチ�上で死んだふりしてるけど、この前寝言で言って�わよ、『暇�ー�って。�かった?これ�大竹さんのお情けよ。なんでもい�ら書�よ�、大竹さんは絶対なんだからねェー��

 なんで大竹さんが絶対なんだか�からな�ま、川向こうはブル�リンでしがな�ャビネ��メイカーをやって�一職人の私�ひそかにこ�五十年近くの人生を振り返り、当然のこと�が、た�の一度も「なんか書�」と頼まれたことが無かったことに気付いた。「背中カイ�とか「御自�オカキなさりませ」なんてことは多�りましたけど。もしかして、これを機になにかを書くことによって、私にもあるかもしれな�「�己」なんてモノを発見できるかも。キ�ン�棚を作って自己発見したと言�し�あまりと�か�然聞いたことが無�、この際大竹さんのお惰けにすがり、このすさまじく不毛だった�が半生を少しは有毛なも�に出来る�ではと。もしかしてそ��「�生、ウチにも連載をひとつ」と、文ナントカ�ナントカあたりから話しが来るかもしれな�。そしてつ�、健気にもカナヅチ持つべき手にペンを�く握りしめたのである�

 ……が、無��である。書くことなんて。何も、�く、カラ�シ。せっかく紀伊国屋��学少女風店員のさげすん�まなざしを浴びつつ買って来た「よ��の書き方」なんて本もまったく役立たずなのであった。生誕四十九年目にして�関係�難しさを骨のズイまで思い知った�である。�てみれ�、�ンガこそ見な�、H雑誌しか読まな�であった。まず�こ�辺から改めなげれはと、今度は現役の優しいオネェさんがいつもいる旭屋にひとっ走りして、ち�と高級そ�見えた「ブルータス」を立ち読みして�と、たまたま「建築」と��が目に飛�込んで来た�である。それ�昨年秋に開かれた第六回ヴェネチア�ビエンナ�レ建築展で日本館が提示し賞を取った展示につ�の記事であった。で、展示の��マ�と言�「地�としての建築家一一未来のセンサー」だって�この業界�最末端であやしげなキャビネ�を作って�無学無教養�私でさえ笑ってしま�ロモノ。そして、あの磯崎新の発案による、ま�こげくさ���残って�と�神戸大地�ら�数十トンにおよぶ瓦礫を敷きつめた生���真を見るにおよび、早�旭屋をとび出したのである。なぜかこみ上げて来るイした気持ちをおさえ、Xマス�ショ�ングで賑わ�番街を下りながら、四年ほど前�ある初夏�夜�ことを思い出して�のである�

02/01/1997月�「ZIPANGU」vol. 18